第1章 青山と馬とインターネット

 

 1995年春、僕は東北の田舎から、ここ東京に出てきた。今から約5年前である。

 この頃、待たれていたウインドウズ95は発売が延期になり、インターネットはまだ普及の兆しすら見せていなかった。

 現在はポピュラーになったオープンカフェの走りである、
 青山『ラスチカス』は、
 28kモデムでネットに繋いだMacを1台置いただけで、
 「最先端のインターネットカフェ」と、各雑誌に取り上げられていた。
 ちなみに僕の知る限りで、この店でインターネットしてる人を見た事はない。

 1995年とは、つまりそういう時代であった。


   『ラスチカス』 客は外人ばっかり


 僕が住むことになった学生寮は、その『ラスチカス』の3軒隣にあった。
 「日本のシャンゼリゼ、五番街」と言われる青山に、
 男子学生ばかり100人、しかも全員ド田舎者が住む寮があるなどということは、
 意外に多方面に知られており、
 ひとえに寮生の日頃の悪行の賜物であった。

 『ラスチカス』も寮も、便宜上、ここでは「青山」に存在するとしているが、
 住所的には「渋谷区神宮前5丁目」である。
 「まあここも青山と呼んでもいいかな」といったような所である。
 実際、どこを「青山」とするかは、非常に微妙な問題なのだ。

 「青山」とは正確にはいったいどこを指す呼び名なのだろうか。

 「青山」という名前が使用されるエリアは、
 「軽井沢」と同じように、どんどん放射状に広がっており、
 「ここも青山と言えるの?」という所にも使われてたりする。
 六本木の「青山ブックセンター」もその一つであった。
 六本木なのになぜ「青山」とわざわざ命名したのか謎であったが、
 ようやく2年前、「青山ブックセンター青山店」が開店することによって、その謎はますます深まりを見せた。

 『青山学院』があるところも、正確には「青山」ではない。
 青学の住所は「渋谷区渋谷」である。
 いわば渋谷の中の渋谷、キング・オブ・渋谷である。

 しかしながら、学院周辺の建物は『青山ケンネル』『青山劇場』と、あくまで「青山」と名乗ろうとする。
 実はこれには理由がある。

 いわゆるみんなが想像する「繁華街・渋谷」は
 「道玄坂」「宇田川町」方面に発達しており、
 本来渋谷であるところの「渋谷」にはそういう賑(にぎ)わいがないので、
 どうしても『渋谷ケンネル』『渋谷劇場』と名乗るのにはためらいがあるのだ。

 かといってダサイ名前は嫌だし、「青山で行っちゃえ!」となったのではないかと予想される。


 そもそも「青山」という地名は存在しない。あるのは「港区南青山」「港区北青山」だけである。
 『青山一丁目』という地下鉄駅があるが、そんな「丁目」は実際には無い。
 だいたい「青山」が存在しないというのに、その上「一丁目」などという、
 まことしやかな接尾語まで付けるなんて、その思い切ったフィクションぶりにシャッポを脱ぐ次第である。

 青山と呼ばれる地の大部分は、かつては原宿村と上渋谷村であった。
 江戸初期、徳川家が、幕臣青山忠成公に、
 馬を走らせて走り切った所までの土地を与え、
 そこに青山公が広大な屋敷を建てた所から、この呼び名が生まれたという。
 もしその馬が、春の天皇賞馬・スペシャルウィークだったら、今ごろは渋谷〜池尻大橋あたりまで「青山」だったかもしれない。
 ちょっと横に逸走してしまったら、千駄ヶ谷あたりが「青山」になっていたという、恐ろしいことにもなりかねなかった。


 でもまあ、個人的な考えでは、国道246号線沿いに、表参道交差点から赤坂郵便局あたりまでが「青山」であると思う。
 地名的にも、その範囲が、ちょうど「南青山」「北青山」になる。


 DJ赤坂泰彦は、「青山ベルコモンズ」までが「青山」とTVで言っていたが、
 それではあまりに『青山霊園』に申し訳ないのでは? 
 と思ったのは、きっと僕だけではないだろう・・・・・。

  
 今回はこんなところで終了です。
 第二回もよかったら読んでください。それでは。

 

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